負け犬の生き方としての死

2006年11月14日

常々思うことで。
生きていく上で自分の正しいと思うことは貫きたい、と。

だから私は私生活でも、仕事でも正しいと思うことをしてきたつもりなわけです。
「絶対」に正しいわけではないでしょうが。

正味、それで負け犬になったとしても何ら未練は無いのです。

私にとって「義」こそが全ての指標なのですから。

報いれられない生き方もまた業のなせるものなのだから。





Posted by バンビ at 07:57│Comments(0)
 
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